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モスクワ中心部の新観光地「ザリャディエ公園」は一見の価値あり
モスクワ中心部にオープンして間もない「ザリャディエ公園」は既に新名所として注目を浴びている。「スプートニク」はモスクワ大学の日本人留学生池田カズキさんにお願いし、公園内の散策に同行した。そのときの写真と動画レポートをお届けしたい。
「ザリャディエ公園」は、クレムリンと赤の広場を目の前にした立地に今年9月9日、「モスクワの日」祝賀期間中に開園した。開園式典にはプーチン大統領とソビャニン・モスクワ市長も臨席した。10ヘクタールの敷地には、過ぎ去りし過去を示す記念碑に始まり、 創意工夫を凝らした風景、未来派建築、先進技術に至るまで様々な要素が盛り込まれている。また敷地内ではステップ、草原、混合林、ツンドラという4つの気候帯が表現されており、なだらかな斜面による高低差も風景の一角を成す。それぞれの高台の丘からは、これまでは長くモスクワ市民に閉ざされていた景色が眼前に一望できる。公園内でもとりわけ目を引くのが、「パリャーシィ・モスト(空に舞う橋)」という名称の構造物だ。支柱ではなくケーブルで支えられた格好でモスクワ川方向に70mもせり出していることから、このように名付けられた。
この公園には、モスクワ最中心部という立地以外にも特筆すべきことが多くある。
以下、「ザリャディエ公園」12の事実としてまとめてみた。
12世紀、この土地にはヒツジや牛が飼育されていた。
19世紀初めの「ザリャディエ」地区にはユダヤ人街があった。当時、モスクワの中でユダヤ人の居住と労働が認められていた唯一の場所だった。
ソ連時代のスターリンは、赤の広場からレーニン廟と聖ワシーリィ大聖堂を除く全ての建造物を撤去することを望んでいた。撤去により4ヘクタールの土地を空け、重工業省の建物を建設したかったのだ。
1967年から2006年の間は「ロシア・ホテル」がこのザリャディエ地区にあった。館内にレストランや映画館を備えた、ソ連初の娯楽・宿泊複合施設だった。
「ロシア・ホテル」撤去後、この区画は10年以上にわたり柵に囲まれた空き地のまま放置されていた。
「ザリャディエ公園」建設予算は5年半の間に5倍に拡大し、総額220億ルーブルに達した。
開園後1ヶ月間の訪問者数は、各統計によると100万人から150万人とされている。
「ザリャディエ公園」建設を考案したのはプーチン大統領。
開園後の最初の3日間で、訪問者によって1万本もの植物が踏み荒らされた。
開園後の最初の数日間で、非行グループによって歩道灯が壊され、メディアセンターの窓が傷つけられ、円形劇場のガラス天井も割られた。
公園の建設予定地でまず考古学者が調査を行なったところ、多数の人工遺物が発掘された。これらの遺物は、駐車場とモスクワ河岸通りをつなぐ地下博物館内で展示されている。
「ザリャディエ公園」は、モスクワの中心部に建設された最初の公園。
「ザリャディエ公園」は造園の段階であまりにも巨額な建設費用、長期にわたる作業期間、外国のデザイナーがわざわざ招かれているなど事あるごとに非難の的になってきた。ところがいったん開園され、散策した訪問客の評判が立ち始めると、すっかりモスクワの新たな観光名所となり、一見の価値があることが明らかになった。
筆者
アナスタシア・フェドトワ、ダリヤ・グリバノフスカヤ

デザイン
ダリヤ・グリバノフスカヤ

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