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日本人イコン画家、日本で学校を開校したロシア人バレリーナ・・・  どのような人々が両国をつないだのか
才能ある、幸福な、しかし権力にはあまり親切にされずに追われた作家、音楽家、司祭、翻訳者、バレリーナ。12月1日、日本で『続・日露異色の群像』が出版された。両国間の文化交流と相互理解に大きく貢献した人々について書かれた本である。なぜこの本が、ロシアに関心がない人にとってさえも読む価値があるのか、「スプートニク」がご説明する。

『続・日露異色の群像』の前作、『日露異色の群像30』は2014年4月に出版された。2作目の発表会に出席した責任編集の長塚英雄氏は、「日本において、ロシア文化を紹介した日本人、およびロシア人の活動を、本にまとめることは、とても意味があることです。いかに多くの人たちが、日露の交流にたずさわってきたか知ることが、今後の日露の関係を発展させるために役立つことでしょう」と語った。

長塚氏自身も、ロシアと日本の間で文化や2国間関係強化のための事業に奉仕する模範を自ら示している。30年以上にわたって、長塚氏は「日本ユーラシア協会」(旧日ソ協会)の事務局長を務め、2005年から現在まで、日本における「ロシア文化フェスティバル」日本組織委員会事務局長、「ロシアンアーツ」代表取締役を務めている。2014年には、自身の活動を評価され、ロシア大統領令により「友好勲章」を授与された。


いったいどのような人々について、『続・日露異色の群像』では述べられているのだろうか
ニコライ・カサトキン
前作『日露異色の群像30』では、何よりもまずニコライ・カサトキンに焦点を当てていた。カサトキンは、日本ハリストス正教会(日本正教会)の創設者である「聖ニコライ」としてよく知られている。1861年、24歳の時に日本を訪れ、半世紀以上日本で暮らしながら、日本人と喜びや悲しみを分かち合った。多数の信徒だけでなく、様々な神学校、聖像画工房をあとに残した。また、深い感銘を与える誠意をもって書かれた日記は、ロシア人の目から見た、19世紀末から20世紀初めにかけての日本の年代記となっている。
山下りん
『日露異色の群像30』に最初の日本人イコン画家、山下りんもまた収められたのは偶然ではない。運命の意思により、山下はペテルブルクの聖像画工房での研修に赴き、ロシアに留学した最初の日本人女性となった。描いたイコンや絵画作品の数については諸説あるが、100から250点といわれている。1891年にロシアの皇太子・ニコライが日本を訪問した際、山下が描いたイコン「キリストの復活」がニコライに贈られた。戴冠式の後、ニコライ2世はこのイコンを冬宮に持ち込み、現在「キリストの復活」はサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館のコレクションの一つになっている。
他にも、ロシア文学の古典を翻訳した小説家の二葉亭四迷、日本でロシア語からの訳本に挿絵を描いた画家のワルワーラ・ブブノワ、日本でソ連映画を翻訳し普及に努めた映画評論家の袋一平、日本で最初のバレエ学校を開校したバレリーナのエリアナ・パヴロバ、さらに多くの両国からの素晴らしい文化活動家たちが2冊にわたって紹介されている。また、広く知られている人物以外にも、現在ほとんど忘れ去られ、一部の専門家の間でしか記憶されていない人々についても記述していることが、『続・日露異色の群像』の著者らにとって名誉となっている。


例えば、日本のロシア研究者で翻訳家の小西増太郎が挙げられる。小西はトルストイの個人的な知り合いであり、トルストイの作品を数多く翻訳し、『トルストイを語る』を始めとするトルストイについての著作もいくつか出版した。1910年には、小西は日本人として唯一、トルストイの葬儀に参列した。
今回「スプートニク」は『続・日露異色の群像』の出版について、ロシア音楽の普及にたゆまぬ努力を続けている日本のバイオリニスト、谷本潤氏に書面で意見を伺った。谷本氏は、プロコフィエフについての一章が掲載されたことが、音楽家としての自分にとってとりわけ嬉しいと次のように書き送ってくれた。
プロコフィエフの章が興味深い。1918年の夏のあい二ヶ月日本に滞在している。彼がまだ27歳のときであるから、とても新鮮な気持ちで日本に滞在したことと思う。しかも有名な音楽評論家、大田黒元雄(おおたぐろ もとお)と親しく交流し、プロコフィエフ自身が、自分の作品を演奏する演奏会を何度か催している。今でこそ、彼の作品はよく演奏されるが、当時の日本で、プロコフィエフの前衛的な作品が紹介されたことは、大きなニュースであるし、彼の音楽を受け入れた日本の聴衆(聴き手)はすばらしいと思う
谷本潤氏
バイオリニスト
スプートニク:
もし本の続きが出版されたら、誰を含めたいですか?
谷本氏:
私自身は、この本の寄稿にかかわっていませんが、もし、この本の続きが出版されたら、ある日本にとって大切なロシア人音楽家を紹介できればと思います。アレクサンダー ・ モギレフスキー(Aleksandr Mogilevskij 1885-1953)というヴァイオリニストです。1930年に来日後、多くの、著名な日本人ヴァイオリニストを育てています。実は私が、東京芸術大学の学生のときに、外山滋(とやま しげる)という、有名な演奏家にヴァイオリン習いました。外山滋氏も、モギレフスキーに師事しています。
スプートニク:
長きにわたる文化交流と、互いの国への関心は、将来の両国関係発展の鍵ですね。
谷本氏:
…ロシアの文学や演劇、音楽は日本に明治以来大きな影響をあたえました。最近は日本文化がロシアでとても人気があるようですから、日ロ両国の文化交流は、政治や経済の交流以上に、日ロ両国の関係の発展のうえで大きな役割をはたすことと確信しています。ロシア文学が、日本に広く受け入れられ、愛されてきたことは日ロ両国の関係を考えるうえでとても大切なことかもしれません。またロシア音楽やバレエも古くから日本で愛されてきました。ですから、それらの歴史的な意味を考えると、日ロの文化交流は、両国の関係の上で今後ますます大切になるでしょうし、その役割を私自身が果たしてゆきたいと思っています!
最後に、『続・日露異色の群像』の出版が、来る2018年における「日本におけるロシア年」及び「ロシアにおける日本年」の相互開催の発表と巧みに時を同じくしたことを付け加えておこう。
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