スプートニク日本
扇動ポスターに見るソ連史
ソ連のポスターは最も効果的なプロパガンダのひとつだと考えられていた。このアートの最大の特徴は、情報伝達の切れ味の良さ、扇動性、分かりやすさ、すばやい反応であった。往々にしてポスターの絵は簡潔で、必ず何らかのアピールジェスチャーが描かれていた。 ソ連のポスターの特徴は、ソ連の歴史的発展とともに変化していった。
① 直感的で扇動的な革命期のポスター
②大祖国戦争時代のポスター
戦後のポスター

1
ソ連のポスターはプロレタリアート革命の時期に誕生した。ポスターは大衆に共産党のスローガンを伝え、自由と公平のために戦うよう呼びかけていた。

最も有名なもののひとつに、ドミトリー・モールのポスター「君は赤軍に志願したか?」がある。工場の煙が立ち上るのを背にした赤軍兵士が、見る人それぞれに対して、10月革命の偉大な成果をまもるために何をしたのかを率直に問いかける。

革命と内戦の時代、ポスターは極めて重要な意義を持つようになった。この厳しい時期には新聞の発行もままならず、ポスターが新聞を代替することが極めて頻繁に行われていた。ポスターアートは幅広い層の民衆が目にするものであり、誰にとっても分かりやすく、絵を伴った短くエネルギッシュなスローガンは記憶に残り、行動を呼びかけていた。内戦時、扇動ポスターは薬莢や弾薬と同じように前線に送られ、白軍と干渉国の攻撃を跳ね返した都市の壁に貼られた。通常、下の余白部分には「このポスターをはがそうとすること、上から何かを貼ろうとすることは、すべて反革命行為である」と書かれた。ポスターは戦っていた。ポスターは武器であり、武器と同じように大切にされた。

2
プロパガンダと扇動が大祖国戦争の第3の前線と呼ばれたのは伊達ではない。 まさにここで国民の士気をめぐる戦いが展開されていたのであり、その戦いが最終的に戦争の帰結を決定したのである。ヒトラーのプロパガンダも警戒を怠っていたわけではないが、ソ連の芸術家、詩人、作家、ジャーナリスト、作曲家の高潔な怒りには到底及ばなかった。

大祖国戦争が始まってすぐに、戦時中の最も有名なポスターのひとつ、イラクリー・トイゼの「母なる祖国が呼んでいる!」が誕生した。 このポスターはソ連のすべての民族の言語で数百万部にわたって発行された。作者は、昂揚した気分に満ちた祖国の像を見事に一般化して描いた。このポスターの最大の影響力は、像自体が持つ心理的内容、つまり、ごく普通のロシア人女性の興奮した表情、呼びかけるようなジェスチャーにある。

国全体がドイツの侵略主義者との戦いに最後の力を振り絞っていたため、ポスターは純粋に、怒り、憤怒、苦悩、勇気、勝利への欲求といった人間の感情に集中することとなった。

3
戦後のポスターは社会政治的テーマを幅広くカバーしている。多くのポスターが共産党に関するものであり、共産党の政治スローガンと党の指導者ウラジーミル・レーニンをプロパガンダするものである。平和への戦いとソ連軍の威力といったテーマが熱情的に展開され、労働のテーマも開花した。全体として、戦後のソ連の政治ポスターは、それまでに達成された現実的な成果を掘り下げるものであった。ソ連のポスター画家らが創作活動の中で力を注いだのが、ソ連人の像だった。
現在また、ポスターへの関心が戻りつつある。過去のポスターは稀少文献となり、アンティークグラフィックとしてコレクションの対象となっている。ポスターを探し、収集し、データバンクに登録することで、かつてのソ連とロシアの文化遺産の保護への配慮がなされている。
Made on
Tilda