クリミアの宮殿と城
歴史と地理
クリミアの城郭はすでに数百年にわたってクリミア半島の名所となっている。特別な地位を占めているのが、帝政ロシア時代に建設されたクリミアの宮殿である。ひとつひとつの宮殿がそれぞれ素晴らしい逸品である。最も有名な宮殿に、ラスタチキノ・グネズド城、マッサンドロフスキー宮殿、ヴォロンツォフスキー宮殿、リヴァディースキー宮殿がある。
ヴォロンツォフスキー宮殿
ツバメの巣城
リヴァディースキー宮殿
マッサンドロフスキー宮殿
アルプカ市
ヴォロンツォフスキー宮殿
ヴォロンツォフスキー宮殿はアイ・ペトリ山の麓のアルプカ市にある。近くで採掘されていた輝緑岩を使って建設された。1956年以降、この宮殿は博物館になっている。ヴォロンツォフスキー宮殿には庭園芸術遺産の公園がある。
1848年建設
宮殿は1928年から1948年にかけて、ロシアの著名な政治家M.S.ヴォロンツォフ伯爵の夏の邸宅として建設された。ソヴィエト政権樹立後、ヴォロンツォフスキー宮殿は国有化された。1921年半ばにはヴォロンツォフスキー宮殿に博物館が開館。ヤルタ会談の開かれた1945年2月4日から11日にかけて、ヴォロンツォフスキー宮殿はウィンストン・チャーチル氏率いるイギリス代表団の宿泊場所となった。1990年以降、アルプカ宮殿公園博物館となっている。
ガスプラ村
ラスタチキノ・グネズド城はクリミア南岸のガスプラ村、アイ・トドル岬の高さ40メートルの切り立ったアヴォロリナ岩の上にある歴史建築遺産である。
1912年建設
この地の最初の木造建築は、1877年から1878年の露土戦争後、退役将軍のために建設されたものだった。ラスタチキノ・グネズド城が現在の姿になったのは、ロシア人石油王P.L.シュテインゲリ氏のおかげである。シュテインゲ氏は、ライン川河畔の中世の建造物を思わせるロマンティックな城を建設することを決め、1911年にエンジニアで彫刻家のレオニド・シェルヴド
リヴァディア村
リヴァディースキー宮殿
リヴァディースキー宮殿はかつて、リヴァディア村の黒海沿岸にあるロシア歴代皇帝の南の邸宅であった。
1861年建設
軽快なイタリア風の宮殿は19世紀末に建設された。ニコライ2世はこの宮殿の建設に当時としては巨額の200万ルーブルを投じた。宮殿の周囲には素晴らしい庭が広がっており、世界各地から集められた常緑樹が植えられている。1945年2月4日から11日、リヴァディースキー宮殿でソ連、米国、英国(I.V.スターリン、F.D.ルーズベルト、W.チャーチル)の連合国首脳によるヤルタ会議が開かれ、F.D.ルーズベルト大統領の率いる米国代表団も宿泊した。
現在、リヴァディースキー宮殿は博物館になっている。
上マッサンドラ
マッサンドロフスキー宮殿
皇帝アレクサンドル3世のマッサンドロフスキー宮殿はクリミアの南岸、上マッサンドラに位置している。現在、この宮殿はアルプカ宮殿公園博物館の別館として宮殿博物館になっている。
1881年建設
宮殿の建設はセミョン・ミハイロヴィチ・ヴォロンツォフ公の発注で1881年に開始された。ルイ13世様式の設計はエチエン・ブシャルによるものである。1882年、ヴォロンツォフ公の逝去とともに、建設も止まった。1889年、その領地をアレクサンドル3世が取得した。現在、マッサンドロフスキー宮殿は博物館になっている。2017年6月1日、マッサンドロフスキー宮殿の敷地に皇帝アレクサンドル3世のブロンズ胸像が設置され、除幕式が行われた。
Made on
Tilda