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「氷の孫娘」の秘密 スネグーラチカとは誰か?
クリスマスイブに子どもたちへプレゼントを配る赤服を着た善良な白ひげの老人は、その生まれ故郷の欧米だけでなく、アジアや中東でもお馴染みの存在だ。一方、ロシアでサンタクロースの役目を果たすのはジェド・マロース。ソリやトナカイ抜きのサンタは想像できないが、孫娘であるスネグーラチカを伴わないジェド・マロースも考えられない。スネグーラチカはロシア文化のかけがえのない財産で、クリスマスや新年の鮮やかで美しいシンボルの1つ。この謎の「氷」娘について、スプートニクは急ぎお伝えする。
歴史
スネグーラチカのイメージは常に新年のお祝いにつきものだったように思われる。しかし、スネグーラチカは19世紀まで全く知られていなかった。
1869年になり初めて、作家で民話研究者のアレクサンドル・アファナーシェフが氷から蘇った少女についての北方諸民族の古くからの民話について書いた。
この美しいストーリーは、天才的なロシアの劇作家アレクサンドル・オストロフスキーが数年後にスネグーラチカに関する戯曲を執筆しなければ、注目を浴びない存在として終わっていただろう。1873年、戯曲『スネグーラチカ』は大ヒットした。
数年後、スネグーラチカは非常にロシアで人気が出て、作詞家ニコライ・リムスキー=コルサコフは同名のオペラを作曲。即座に大成功となった。
当時、スネグーラチカは新年のお祝いと直接関係がなかったが、革命前にもモミの木に陶器やガラス製のスネグーラチカ人形を飾る風習となっていた。
ジェド・マロースの正式な孫娘となったのはソ連時代、1930年代だった。それから2人は常に一緒に現れることになっている。だが本当にはスネグーラチカはジェド・マロースにとって何なのか?本当に孫娘なのか?
もつれた由来
スネグーラチカは民話の登場人物だが、由来については非常に多くの説がある。最も普及しているのは、スネグーラチカがジェド・マロースの孫という説だ。その場合、ジェド・マロースの息子ないし娘は誰かという疑問が浮かぶ。息子はジェド・マロースとヴィユギ・メテリツィ(吹雪・暴風雪)の愛の結晶であるスネゴヴィクだと述べる人もいる。そしてスネゴヴィクはヴェスナ(春)と出会い、スネグーラチカが生まれたのだ。こうして、父の優しさと母の美しさを兼ね備えた賢く綺麗な娘が生まれた。その他に、スネグーラチカはジェド・マロースとヴェスナの娘だという説もある。戯曲を書いたオストロフスキーはそう考えている。
現代のスネグーラチカのイメージ
現在のイメージをスネグーラチカが得たのは1935年、ソ連で新年の祝賀が公式に許可されたときである。ジェド・マロースとスネグーラチカが1937年初頭に初めて共演したのは、ソ連最大のモミの木があるモスクワの同盟の家の新年だった。
興味深いことに、ソ連初期の絵ではスネグーラチカは主に小さな女の子として描かれているが、後になるとより成長した少女としてイメージされるようになった。理由は今に至るまで不明だ。新年になると、スネグーラチカとしてブロンドの演劇大学生や女優が働いていた。コスチュームとしては白、銀、水色のドレスの上に毛皮で縁取られたベストや毛皮のコートを着る。履物はワーレンキ(羊毛フェルトの長靴)か白い長靴で、手にはミトンか毛皮の筒状手袋。帽子は毛皮の折返しのついたキャップか真珠やビーズ、宝石で飾った冠をかぶる。
スネグーラチカの住んでいる場所は?
ジェド・マロースの屋敷はロシア・ボルゴグラード州のヴェリキイ・ウスチュグにある。スネグーラチカもおじいさんと一緒に住んでいる。 2006年、モスクワのクズミンキ公園に新たにジェド・マロースの屋敷がオープン。スネグーラチカ用に2階建ての家も建てられた。
役目
スネグーラチカはどのようにジェド・マロースを手伝うのか?現代風に言うとコーディネーターで、祝賀が上手くいくように注意を払う。児童心理学者は、スネグーラチカは大声の威圧感のあるジェド・マロースを怖がらないように子どもたちの面倒を見る役割を果たすという見方を示す。
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